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転職かりにテキスタイル

鐙紡が何よりも好きだったのだ。この会社に尊敬に近い感覚をもっていたようである。戦前、鐘紡という名前にはすごいものがあったという。サラリーマンならまずれというのが多くの人の識だった。それは近年のトヨタやソニー、松下そもそも、入社時、かったとも聞く。配当率も、無配で坤吟することの多かった戦後の鐘紡からは考えられないほどの高配当で、大正年間は配当率7、昭和元年頃でも425はあった。父の丁稚奉公時代が鐘紡の中興の祖と言われる武藤山治の時代に、また商売で独立したてが日本国家のた父は、兵庫県の西脇出である。祖父はその地方の裕福な家の生まれで、豪商であったと聞く。長男の父とその姉は乳母付きで文字通り大事に育てられたらしい。しかし、父が小野中学校1年生のとき祖父が破産した。それも自分の事業で失敗をしたわけではなく、気のいい坊ちゃん気質で、金の無心に心よく応じたり、気軽に連帯保証人になったりした結果であった。破産後、父は中学校を退学し、神戸の鉄屋に丁稚奉公に出た。鉄材をリヤカーに載せ引っ張るのが難行だったらしく、とくに坂道でリヤカーがすべり落ちていきそうになるのを必死にこらえたときの辛さ、悔しきはいくつになっても思い出していた。